ご予約
アクセス

日本最古の蔓牛 千屋牛

千屋牛は岡山県の北部の一部で育てられる「黒毛和牛」です。
昔はブランド牛という言葉もなく、昭和に入り和牛登録協会の創設者羽部義孝氏が和牛のルーツ調査をすると、日本最古の蔓牛が新見市に存在する事が判明しました。

それから、千屋牛は和牛の原点であり「和牛の中の和牛」と呼ばれるようになりました。
日本全国に広がるブランド牛も、この千屋牛が原点となり広まっていったと言われております。

日本最古の蔓牛 千屋牛

祥華の千屋牛

豊かな自然と清流からなる土壌に恵まれた新見エリア。そこで育つ千屋牛は、きめ細やかな霜降りが特徴です。
焼肉、しゃぶしゃぶ、炒め物、どんな料理にも引き立つ肉、それが千屋牛の旨みです。

当店でご用意している千屋牛は、年間出荷頭数800頭と小規模生産のため、なかなか全国に出回らない大変希少価値が高い黒毛和牛です。
価格は最上級(5等)のロースで、現在100g 1,200円~2,000円程度で百貨店に並ぶ松阪牛などに比べ、半値程度とお値頃でありながら、味は他のブランド牛より勝っているところも多いといわれています。

地元新見でも、千屋牛指定外食店はまだ少ないため、新見市観光へお越しの際は、
ぜひ祥華の千屋牛を使った数々のお料理をお楽しみください。


千屋牛特選 北大路魯山人風すき焼き
熟成千屋牛 炙り焼き 月見わっぱ飯
千屋牛 炙り焼き ロースステーキ重




千屋牛の歴史

太田辰五郎氏
千屋牛は、江戸時代に備中国阿賀郡実村(現・新見市千屋)で盛んで、鉄山業で労役牛として使われていました。
千屋地区は冷涼で降雨量が比較的多いので良質の草が生え、牛の飼育に適している土地であった為古くから牛の生産が盛んでした。

千屋牛は元来小型で少産の牛でしたが、千屋村の豪農、太田辰五郎氏(1802~1855)の努力により当時としては大型で頑強・多産で気質のおとなしい牛に品種改良されていきました。

但馬産の優れた種牡牛を導入するなど、当時としては革新的な改良技術により「網もとらねば四足も見ぬが千両かけましょ千屋の牛」と歌に詠まれるほどの名牛になっていきました。

そして、太田辰五郎は1834年(天保5年)に千屋牛馬市を開設し管内で生産された優れた牛の販売を始め、千屋牛の名を広く知らしめることになりました。


千屋牛の碁盤乗り

太田辰五郎氏
晴天の多い瀬戸内地方、太陽の光と、高梁川源流の清流の恩恵を受けたのどかな山間地帯小規模生産のため、まだ、出荷頭数も年間800頭と少ないですが、柔らかい赤身にキメの細かい霜降りという肉質を活かして、ステーキ、焼肉、すき焼き等に使われています。

千屋ダムには、碁盤に乗る千屋牛のブロンズがありますが、これは地元の伝統芸能「千屋牛の碁盤乗り」です。
千屋牛は気質がおとなしく利口で調教しやすいので、訓練次第でこういった芸能もこなしたそうです。

千屋の古い民家にはほとんど家の中に牛舎がありました。
「牛も家族、家族なら一緒に寝起きするのは当然」という事で、いかに牛を大切にしてきたかが伺えます。


千屋牛の特長

健康牛

健康で良質な牛の育成の為に授乳期の飼育には大変気を使います。
子牛は発育を考えカーフハッチ(子牛を個別に飼育するための小型の牛舎)で飼育を行ない、衛生的な牛舎で常に健康を考えた飼育を行なっています。


安全牛

飼育期間は安全性を重視して飼料を厳選。指定した配合飼料と牧草、稲わらを与えます。
この配合飼料により、優れた肉質と安全で健康なブランド牛となっていきます。


安心牛

千屋牛はすべての牛に10桁の耳標をつけ、出生年月日、性別、種別、母牛、生産地、飼養地などの生産履歴を明らかにしています。
これにより牛の情報が流通の段階はもとより消費者に正確に伝わり、お客様の食卓に安心を運びます。


信頼牛

高梁川の源流、豊かな自然に包まれた千屋牛の里で繁殖・肥育の一貫生産を図り、古くからこの地に根付いた牛への深い知識と最新の技術を持つ限られた生産者によって大事に育てられました。
安心、安全、おいしさの期待に応える信頼のブランドです。


千屋牛の定義

新見市内で繁殖・肥育まで一貫生産されたもの。または岡山県下で生産された子牛を導入し、新見市内で約18ヶ月間以上肥育されたもの。